成年後見制度と意思決定支援について

コラム

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走る施設長、現場発信!かくた充由です。
 
今回は、成年後見人制度について書きたいと思います。
成年後見人制度は、認知症や知的・精神障害などが原因で判断能力が不十分な場合でも、本人の残存能力の活用と自己決定の尊重を原則に、本人の財産と権利を守るとための制度として、介護保険制度と同じ平成12年(2000年)に施行されました。
 
成年後見人制度は、法定後見任意後見という2つの仕組みに大きく分かれており、法定後見人は、既に判断能力が不十分になってしまった人が利用する制度、任意後見は、将来に判断能力が不十分になることを想定して準備をしておくものという枠組みで運用されています。
 
法定後見には、「後見」、「保佐」、「補助」という三つの類型があり、それぞれに後見人に与えられる権限や職務の範囲が変わってきます。

成年後見制度は、判断能力が不十分になった人でも、安心して地域生活を続けられる様にと整備された仕組みである一方で、これまでの運用で、幾つかの課題も見えてきました。幾つかご紹介しましょう。
 

・自治体ごとの取り組みの温度差があること。
・後見人による財産に関する不祥事があること。
・親族後見人の割合が低下していること。
・申立てを担う家族や親族が見つけられないこと。
・弁護士や司法書士等の法律家が後見人となった場合、支援が財産管理に偏りがちになってしまう。
・類型と本人の実態にミスマッチが生じている。


私は、数ある課題の中でも、最も深刻なのは、後見の審判を受けた人の約71%「判断能力が全くない」とカテゴライズされていることではないかと感じています。
 
「判断能力が全くない」と判断された場合において、法律上は本人を保護する機能がどうしても強くなります。
しかし、本人の行為や権限を包括的に制限してしまっては、本人の意思を反映させることも難しくなってしまうのです。
 
そもそも、「判断能力が全くない」ということはあるのでしょうか?
前回のコラムで触れたイギリスの意思決定能力法(MCA2005)では、「すべての人には意思能力がある」とされています。
何らかの要因で、自分の意思を表出することが難しくなっているだけで、意思はあるのです。
 
今後、成年後見制度の運用を検討していく上では、「すべての人には意思能力がある」という前提に基づいて、表出され難い本人の意思をどのように確認し、サポートしていくかということが非常に重要だと感じています。

では、私たちの「意思の決定」とはどうゆう事なのでしょうか。
私たちは日々の生活を、自己決定のなかで瞬間、瞬間を生きて行動をしています。
例えば「行きたい学校を決める権利」、「したい仕事をする権利」、「好きな人を結婚し、家庭をつくる権利」、「自由に生きたいところに旅行することを決める権利」、「お金を自分の決めた使い方をする権利」、「嫌な事を断る権利」…挙げたらきりが有りません。
 
認知症が強いご高齢者であっても、重度の障がい者であっても、周りが決めてしまうのは決して「仕方ない」ことではなく、それはむしろ差別に繋がるものだと再度私たちは理解しなくてはならないと思います。今後、本格的な少子・高齢化、家庭機能の変化、障がい者ができる限り地域社会で自立して生活していく社会の到来を予測するうえで、もう一度「意識」から再認識しなくてはならないと思います。

成年後見人制度という仕組みも、意思決定支援という概念も、まだまだこれから発展をしていくべき制度と言えるでしょう。
この意思決定支援が難しいとされる理由の一つは、私たちが認知症高齢者や重度の障がい者を意思の決定は無理だろうと決めつけることだと感じます。
加えて、過去の経験から本人の可能性を周囲の支援者や関係者が信じることが出来ないこともあるかもしれません。
 
本人の個別の残存能力を信じること、そして何よりも支援者側の支援力を向上させることが、重要だと考えています。。
私たち福祉、介護従事者は、誰よりも「意思決定支援」について、学んでいかなければならない思っています。
WELFARE,NO LIFE
 
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